勝俣美秋の和楽日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

悪癖。

先日、劇団わらく11月公演「3人おじさん」の顔合わせが、毎度お世話になっている、代々木上原の「笑助」さんというお店であり、いよいよこれから本格的に全体稽古が始まる。

事務的なお知らせをし、そして、交流会に突入。

他劇団での顔合わせに参加した際は、稽古場で事務的な連絡があり、稽古をしてから交流会に、という形が多かった。しかし、わらくは顔合わせ時に稽古をしない事が多い。

なんでだろう・・・・毎度、高須の本が出来上がっていないからだ!
役者に1日も早く本を渡しキャスティングをし稽古をしたいのに、毎度、高須の本が上がっていないからだ!!

台本の進みが遅く、初日を迎えても台本が出来上がらず公演中止や延期を何度もしてきた、井上ひさし程の作家になると、良いか悪いかは別として「遅筆道」などと本人も豪語して、「またか。」なんて、それがブランドになってしまうが・・・我らが劇団わらくの高須のそれは『高須の悪癖』と命名しよう。

・・・遅い、またか、何とかならんもんか、スタッフさん、客演さんすみません。

しかし、僕も台本完成までただ指をくわえて待っているわけではない。あーだこーだと口を出す。
具体的な台詞をおこすのはもちろん高須だが、人物設定やプロットや台詞のやり取りや・・・あーだこーだと口を出す。そんなこんなで進めている為、今回も『高須の悪癖』がもれなく発動した。

以前のブログに書いた事があるが、何かの演劇誌で川村毅という劇作家が、本を書きあげるという事は、川に飛び込み向こう岸まで泳いで渡るようなものだが、泳ぎ切ったとすぐ言ってしまう者と、泳ぎ切れずに川の真ん中あたりでずっと溺れている者がいる。泳ぎ切ったという者の作品は、一丁あがりみたいな作品が多く、たいがいが安易だ。作家としての良心は、向こう岸まで泳ぎ切れるかどうかわからずに、溺れながら書き上げるという作業をする事が、せめてもの作家としての良心ではないか・・・記憶があいまいで恐縮だが、このような事を書いており、先輩の意見に僕も深くうなずいた記憶がある。

もう一度繰り返すが、いいか悪いかは別の問題として置いておこう。
いろいろな考え方がおありだろうし、入射角が違ったらいいものも悪くなる。

物を創るという事は、闇の中の手探り状態から出発をするという事が前提だと僕は思っている。
前はこうやったとか、僕のやり方はこうだとか、そのような先入観はまずお捨てなさいというのが前提だ。
効率が悪くてもいいではないか。確実なものであれば。

集団で物を創る演劇をするうえで、2011年某月某日、某時某分某秒、某場所で某人物たちの縦軸・横軸が重なった世界の中の、その一点でしか産まれる事がない一回性の生を確実に積み重ねて行く事を大事にしたいと思っている。それが稽古であり最後の一回までの本番だ。

「高須の悪癖」について書いてみた。
「3人おじさん日記」の始まりにはふさわしくなかったかもしれないが、こんな事を書いてみた。

重ねて言うが、良いか悪いかは別問題だが「高須の悪癖」について僕も少なからず関与しているので書いてみた。


さあ、「3人おじさん」日記始まりです!!

最後は強引に締めてみた・・・。

どうぞ皆様、ごひいきに。

3人おじさん日記

スポンサーサイト
  1. 2011/10/18(火) 00:37:07|
  2. 稽古日記
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。